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今日のつぶやき|21 May2024

5月21日のブログつぶやきです。ただいま22日翌日の朝7時半、1日遅れのブログつぶやきです。

昨日は、冬一郎くんは短い散歩でした。朝も夕方も、そんな感じでした。その分、今朝、それなりの1時間半ほどのやや適度な散歩をしてきました。冬一郎くんは元気です。ちょっと民泊のお客様も見えて大喜びで興奮気味の冬一郎くんでした。

その話はまたいずれするとして、昨日のポッドキャストは「NHKBS世界のドキュメンタリー “原爆の父”オッペンハイマー」前編/後編を見たので、それについての感想を配信しました。実はちょっと冬一郎くんが邪魔したので、失敗したボツになった、5分ぐらいかな、しゃべってボツになったものも《はなし処》で本棚に入れときました。

あとは《ひと声》で、「オッペンハイマー」についてしゃべりましたよという、そういうひと声をつぶやいてます。

それから過去の深堀ライブですけれども、《元学長の実践的学長論》、《元学長の体験的大学論》、それぞれ1本ずつですね。深堀ライブの16個目と17個目、結構前にやったやつですけれども、1本ずつ配信をさせていただいて、あとは《夕刊ことのは》ですね。

オッペンハイマーについていろいろ考えちゃいますね。重たいですね、私にとってはね。とてもね。そんな感じです。

あとはまた別のところで。ということで、とりあえず昨日はそんな感じでした。

ではまた。5月21日のブログつぶやきでした。

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Podcasts|21May2024

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本日配信したPodcastsです。

 

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LISTENで、たなさんがオッペンハイマーのドキュメンタリーを紹介してくださったので、私も録画をしてようやく見ました。

『原爆の父 オッペンハイマー』 「前編 核開発への道」 「後編 私は死神となった」

アメリカで作られたドキュメンタリーなんですが、元のタイトルは、「To End All War 全ての戦争を終わらせるために:オッペンハイマーと原爆」ということなんですが、今、オッペンハイマーの映画が話題になっていますが、それと合わせてこれを見るといいんではないかなと思います。

これについての私のコメントは別番組の別エピソードで....続きを読む。

 

“原爆の父”オッペンハイマーNHK BS 世界のドキュメンタリー を観る

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2023年、アメリカで映画オッペンハイマーが公開されて、日本でも2024年にオッペンハイマーという映画が話題になっているわけですけれども、その映画の公開に先立ってアメリカではこのドキュメンタリーが放映されたということで、これがNHKのBSで、2024年5月14日と15日の2日間にわたって、前編後編と分ける形で放映をされました。

私ちょっとリアルタイムで見れなかったので、録画させていただいてそれをようやく見ました。実は数日前に録画を見ようとしたんですが、最初の3分で、これはちょっと態勢を整えてからじゃないと見れないと思い、その2、3日後にようやくちょっと態勢が整ったと。心の準備ですね。それぐらい非常に重たい話だと思ったわけです。

オッペンハイマーについては、知っている方はもちろん知っていると思うんですが、一応、Wikipediaオッペンハイマーと、それから最近公開された映画の、映画.comのリンクを貼らせていただいて、参考にしていただきたいと思うんですが、詳しいことは語りません。1904年に生まれて、1967年、62歳で亡くなっています。

原爆の父と呼ばれて、原爆を開発するリーダー、トップとしての立場で、実際にそれを、マンハッタン計画ですね、成就させ、しかも広島・長崎への原爆投下についても、やはり都市に落とすべきだという決断をした人なんですが、その後、戦後ですね、水爆、さらに原爆よりも巨大な規模を持つ水爆には反対をし、それは必要ないと。さらに核軍縮を訴えるという人だったわけですね。

このドキュメンタリーの冒頭で、実はオッペンハイマーほど矛盾に満ちた人物はいなかったというようなナレーションが入るんですが、私はこれに非常に違和感がありまして、オッペンハイマーほど世界の矛盾を一身に引き受けて、悩み、考え、決断し、選択した人間はいなかったんじゃないかというふうに思っているわけですね。そのことについて少し、私の思うところを少し語っていこうかなと思っています。

いくつかポイントはあるんですけれども、やはり一つはマンハッタン計画のリーダーに抜擢され、しかもそれをしっかりと成就させ、なおかつそもそもはナチスドイツが核開発をしているということから、それに対抗する、対ナチスヒトラーということで開発が始まったにも関わらず、ドイツ降伏後も開発を続け、そして日本にも原爆投下するという判断にも深く関わったわけですね。しかもそれは、人のいる都市部で民間人を数万人巻き込むことになるけれども、そこでやらなきゃいけないんだという、そういう判断をしたわけですね。

有名な言葉で、オッペンハイマートルーマン大統領に向かって、私の手は血塗られていると、それに対してトルーマンが激怒したというようなエピソードもドキュメンタリーの中で出てくるんですが、これは有名なエピソードなんですが、なぜオッペンハイマーは、広島・長崎への原爆投下を必要だと考えたのか。

このドキュメンタリーの元々の原題は、to end all war、全ての戦争を終わらせるために、オッペンハイマーは全ての戦争を終わらせるために原爆開発が必要だと、むしろ原爆を開発することで戦争のない世界になるんだというふうに信じていたわけですね。これについてはいろんな意見が当然あるわけですけれども、実際に、仮にオッペンハイマーが開発しなかったとしても、いつか誰かが、水爆が開発されたようにですね、オッペンハイマーが反対したにも関わらず水爆が開発されたように、いつか誰かが原爆は開発していたわけですよね。

それがこういうタイミングでこんな形で使われることにはならなかったでしょうが、しかし何らかの形でそれは開発され使われる運命にあった。これはもう人類の科学の成果として必然だったということですね。そのタイミングにドンピシャ当たってしまったのがオッペンハイマーですね。しかも1942年から45年というそういう時期に、まさに第二次世界大戦の真っ只中に、そういう運命に遭遇してしまったということだと思っているわけです。

よく矛盾に満ちた存在だというときに言われるのが、それまでの原爆投下までのオッペンハイマーと戦後の核軍縮を訴え水爆に反対したオッペンハイマー、そしてさらには公職追放され権利剥奪されたオッペンハイマーということで、その人生を見れば矛盾に満ちているように見えるんですが、これはむしろ私はオッペンハイマーの矛盾ではなくて、世界の側に矛盾があったと思っています。

3つですね。話を分かりやすくするために、とりあえず、まず3つ。1つは科学と政治ですね。科学、政治、そしてもう1つが道徳ですね。

科学と政治。これは、哲学的に言うと、科学は真理、真ですね。真理の追究。政治というのは、これはいろんな考え方あるんですが、やっぱり正義。正義の追求。この正義と真理っていうのは必ずしも一致しないわけですね。正義を貫くためには必要悪、この場合、原爆がそうなるわけですけど、そういうこと、つまり真理だけで政治はできないという問題があるわけです。ここに1つ矛盾がある。

もう1つ。この真理と正義ともう1つが、道徳、倫理ですね。これはむしろ哲学的に言うと善ですね。真、善、美の善ですね。真と善。これも必ずしも一致しないわけですね。ここには矛盾があるわけです。

つまり、私の捉え方は、科学的な真理という立場を貫くオッペンハイマー。そして政治に巻き込まれ、政治的な正義、あるいは戦争における正義、必要悪も含めてね、これを貫こうとするオッペンハイマー。そしてもう1つは、善、道徳、人としての倫理を貫こうとするオッペンハイマー。この3つの矛盾を真正面から引き受けて、1人の人間の中でそれを突き詰めた。そして選択し決断し判断し行動した人間だという捉え方を私はしてるわけですね。

つまりオッペンハイマーには何ら矛盾はなかった。矛盾があったのは世界の側にあったんだというふうに思ってます。オッペンハイマーが他の人と違うところは、その矛盾から目を背けずにその矛盾を引き受けようとしたところにあるわけですね。

いくつかポイントはあるんですけれども、1つは広島長崎への原爆投下をなぜ決断したのか。これ1つですね。もう1つが公聴会に出席しないでもう辞めてしまうという話も選択肢としてあったにもかかわらず公聴会への出席を選んだのはなぜか。さらには友人関係の中にいわゆる共産党共産主義に関わる人たちがいたわけで、身近にね。そことの関係をやっぱり切らなかったのはなぜか。そして水爆に反対したのはなぜか。この4つぐらいエピソードとしてはちょっと取り上げたいかなというふうに思っています。

1つ目、広島長崎への原爆投下。1つはやっぱり戦争を終結させると。そのためには最もそれが、開発した原爆が効果的に威力を発揮するということを、やっぱりその恐ろしさも含めて知らしめるしかないという判断をした。そう思います。その後、戦後謝罪がなかったという話もあるんですが、これはだからそういう選択が正義だと。その問題と、人としての道徳や倫理の問題はこれはまた矛盾する別の問題だと。そういう捉え方をしてたんじゃないかなと思うわけですね。これが1つ。

賛否はいろいろあるし、意見もいろいろあるんですが、この原爆投下。自分がその立場だったときにじゃあどうしたか。当事者としてですね。オッペンハイマーは当事者になってしまったわけで。トルーマンのように投下を決定した人もいれば、オッペンハイマーのように投下を必要だと考えた人間。この2人には大きな違いがあるわけですね。それは戦後のエピソードが象徴的に物語っていると思います。

2つ目。なぜ水爆に反対したか。水爆の開発に反対した。....続きを読む。

 

Shelved|JRO

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映画オッペンハイマーが2023年に公開され、日本では24年、今年公開されて、非常に話題になっているわけですが、その映画に先立ってアメリカでは、このドキュメンタリー、原爆の父オッペンハイマー、トゥ・エンド・オール・ウォーというものが配信されたということなんですが、私、映画はまだ見てないんですけれども、実はたまたまこのNHKBSで、世界のドキュメンタリーということで、原爆の父オッペンハイマー、これが5月の14日と15日に放送されました。これを録画をしてようやく見たということで、少し感想、コメントを思いつくままに語っていきたいなと思っています。

実は録画したのはいいんですが、最初の5分を見たところでちょっと重たいなと。これは体勢を整えないと、見る方の体勢を整えないと見れないなと思ったので冒頭でやめて、2,3日経ってから心の準備をして、それから見たわけですけれども、それはさておき、そもそもなんでこの2023年になってオッペンハイマーという映画が作られたのかということなんですが、オッペンハイマー公職追放され、名誉を奪われていたわけですね。これはスパイ容疑がかかって、聴聞会にかけられて、そしてすべての、すべてではないけれども権利を奪われていたわけです。ある意味、売国奴的な扱いをされていたということなんですが、これが2022年の年末ですね。

2022年の12月16日になって、もちろんオッペンハイマーはもう亡くなっているわけですが、1954年に取られた公職追放の措置は間違いだったということで取り消すということで、すべての処分を撤回するということで、それがこの映画が作られ公開された背景にあり、再びオッペンハイマーについて語られる状況ができたということなんですね。

オッペンハイマーというのはどういう人物かというと、ここでくだくだ語りたくないので、とりあえずwikipediaのリンクを貼っておきました。それから映画.comのこの映画オッペンハイマーのリンクも貼っておきましたので、知識をあまり持っていないという方はそちらのリンク先を見ていただいて、私このドキュメンタリーを見て感じたことですね。語っていきたいんですが、実はそのドキュメンタリーの冒頭でオッペンハイマーほど矛盾に満ちた人物はいなかったというナレーションが入るんですが、これはやっぱり私は違和感を感じるわけですよね。

結論から言うと矛盾に満ちていたのは世界であって、オッペンハイマーはそれを正面からその矛盾を引き受けようとした。そこにおいて悩み、考え、決断し、選択しという人生を送っただけなんじゃないかというふうに私自身は思っているわけですね。

わんこが吠え始めましたけれども、これ撮り直しだな。

(・・・・ということで本棚行きのボツ音源となりました。)

 

非営利組織の経営を考える ⑤(深掘りLIVE #16)《full version》

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今回の深掘りLIVEでは、ドラッカーの非営利組織の経営について話しています。第2部では、マーケティングイノベーション・資金源開拓について紹介しています。非営利組織の資金源開拓には大義に共鳴する支持者と参画者を獲得することが重要であり、自ら資金源となって行動することも求められます。また、改善のための戦略には人、資金、時間の有限なリソースを賢く活用し、優先順位を設定することが必要です。目標の設定と高いクオリティの重要性について話し、非営利組織の評価や増加方法にも言及しています。(AI summary)

12月22日、金曜日の夜です。 今日は冬至ですね。北海道、札幌は長い夜に入りました。 1年で一番長い夜です。

今日の深掘りLIVEはですね、 ドラッカーの「非営利組織の経営」の5回目をやりたいと思ってます。今日はパート2ですね。 第2部、マーケティングイノベーション・資金源開拓というところを見ていこうかなと。私なりの解釈も加えながら見ていきたいと思います。

ちょうど、「日本の私立大学の 運営と経営を考える」の③のところで、実は、非営利組織の資金計画の重要性、 マーケティングの重要性が出てくるんですけれども、これはまさに、このドラッカーの「非営利組織の経営」の マーケティングイノベーション・資金源開拓というのが今日の第2部の表題になっているんですけれども、 このマーケティング・資金源開拓に直接関わる内容なので、そういう意味では、私立大学の運営と経営を考える際に、 当然これが参考になってくるわけです。

まずはマーケティングですね。 非営利組織にマーケティングは必要なのかということなんですが、昔は、非営利組織にはマーケティングなんていらないんじゃないかというふうに言われていた。ドラッカーも書いているわけですけれども、 だけれども今はそうではないということです。

ただ非営利組織のマーケティングは 企業のマーケティングとは違う。いわゆる商品の販売とは違うということなんですよね。つまり非営利組織にとってのマーケットとは何かと。 ここが一番重要なわけですね。ある意味、サービスを買うとも言えるんだけど、 ちょっと違うんですよね。

非営利組織は単なるサービスを提供する組織ではない。これまさに、この第2部第1章の冒頭に ドラッカーが書いている言葉なんですよね。非営利組織はもちろん商品を売る組織ではないし、 単にサービスを提供しているわけではない。もちろんサービスなんだけど単なるサービスではない。 ここをどう理解できるかなんですよね、深くね。

ここを間違うと、単なる大学・学校法人もサービスを提供しているんだと。それで学費もらっているんだみたいなね、 よくある理解なんだけど、これは本当の意味で、非営利組織あるいは学校法人のやっていることを理解したことにはならないということなんですよね。

前にも出てきましたけど、 非営利組織の目的っていうのは人を変えるということですね。人を変えようとする。 つまりサービスを提供することによって人を変えようとする。その人の人生を変革する。これがまさに非営利組織のミッションでもあり目的、存在意義なんだっていう、ここなんですよね。

だから単なるサービスではなくて、 そのサービスを提供することを通じて人が変わるというね、ここですね。ってことは、単にサービスを渡しましたと、そこで終わらないってことです。サービスを提供しても人が変わらなければいけない。

こんな言い方もしてるんですね。与えるのではなく一体化しようとする。こういう言い方、一体化。ちょっと強い表現ですけどね。そんな言い方をするわけですね。

非営利組織には、プランニング、マーケティング、 人、資金が必要だということでずっと書いていってるわけなんですが、 そこで一番最初にマーケティングですね。このマーケティングも、だから単にこういうサービスを求めてる人がいるから提供しましょう
ということではないということなんですよね。

だから例えば、学生なら学生ですね、学校法人の場合。いろんな学生がいるわけです、一人一人ね。サービスを提供しましたと、一律にね。だけどその一人一人を見てみたら、 そのサービスを提供されることによってそれがどうその人の変化、変革につながるかっていうのは 一人一人違うわけですよね。これがまさにマーケットなわけです。
これをマーケットセグメンテーションなんて言い方もするし、 マーケットリサーチなんて言い方もするんですがそのマーケットをもっと細かく見ていかないといけないことになるわけです。

一律のサービス提供っていうことではないということなんですね。それでこんな言い方もしてるんですよね。非営利組織っていうのは目に見えないものを提供する。企業のマーケティングと同じ言葉を使うけれども、中身は違うんだっていうね。顧客にとって、学校法人の場合には、学生にとって、 生徒にとって価値あるものを提供する。ここですね、価値ですね。

それから、あともう一つ、これ言ってるのが、これをやれば学生集まるからということで手を出してはいけない。不得意なことに手を広げてはならない。こういう言い方してるんですよね。むしろ、自らの組織の持っている強みに集中することが重要だ。だからこれは本当に、大学一つ一つ違うんですよね。持っている強みっていうのが、個性があるわけです。

私も名古屋の音楽大学にいたときは、 その音大の強みは何かっていうことで、強みを5つにまとめたんですよね。それをやっぱり一つ一つの非営利組織について、考え抜いて定式化する。それをその組織に関わる全ての人に共有してもらうっていうね。ここがすごく重要です。....続きを読む。

 

日本の私立大学の運営と経営を考える ⑤(深掘りLIVE #17)《full version》

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日本の私立大学の運営と経営についての深掘りライブ #17では、私立大学が置かれている状況やマネジメント能力の不足、意思決定の重要性などについて話されています。また、非営利組織としての私立大学の存在意義や戦略の重要性も取り上げられています。私立大学の運営と経営を考えます。非営利組織の経営は顧客と寄付者に敬意を払い、彼らの満足を理解することが重要です。意思決定は多くの意見を聞き、マーケティングとリサーチをして考え抜くことが必要です。(AI summary)

深掘りライブの17回目ですね。「日本の私立大学の運営と経営を考える」その⑤を話したいと思います。これまで1、2、3、4で何を話してきたのか、全体像を少しまとめておきたいと思います。

まず、私立大学が今置かれている状況。これは、一番大きいのは、少子化圧力ですね。 少子化圧力が加わってきたことで、マネジメントが必要になってきた。それ以前の私立大学は、悪く言えば何もしなくても人が集まった。 だからマネジメントがあまり必要なかった。ところが、そういう時代が終わって、特に今世紀に入ってから、 少子化の圧力にさらされるようになってきた。

ところが、マネジメント能力を必ずしも持っていなかった私立大学は、 理事会を筆頭にマネジメント能力が欠如しているわけですから、ところが、マネジメント能力を要請されるようになってきたと。 にもかかわらず、そういった人材がいないと。マネジメント能力を持った人材が育っていない。 決定的に不足している。この問題が、もう今の私学の危機と困難の根源にあるということですね。

その背景には、実は文部科学省が定員政策を放棄したという問題があります。これは2000年の臨時的定員問題というやつですね。 その①では、そういったことを出発点に、少し全体像、学長リーダーシップより運営の仕組みの方が重要なんだとか、 それから政策形成の仕組みもだからあまり無いんだとかね、いった話をしたわけですけれども。

その上で、その②では、非営利組織の経営、学校法人の経営っていうのは企業とは違うんだという話をしました。 ところが、下手にマネジメントあるいは経営ということが言われるようになってきたことで、企業のマネジメント、あるいは企業の経営をそのまま私立大学でもやろうとする。 勘違いですね。

勘違いしてるわけですけれども、それをやろうとする人が出てきて、これがまた私立大学の混迷を深めるという話になっているんだということですね。 学校法人、非営利組織、私立大学においては、経営よりも運営の方が大事なんだと、そんな話をしました。それはなぜかというと、学校法人・非営利組織のそもそもの存在理由、目的、ミッションというものが、企業とは違うからだという話をしたわけです。

それでその③では、非営利組織の経営というのは、結局、その非営利組織の存在目的、大学でいうと建学の精神ですね、というものがあるわけですけれども。そういった非営利組織の目的っていうのは何なのか、という話をしました。特にそういったことをベースにしたときの、学長の役割とは何なのかということですね。さらに資金計画とマーケティング、これも実は企業と違った形で考えなきゃいけないんだと、そういう話もしてきました。さらに政策形成の仕組みですね、これが意外とないという話もしてきました。

その④では、特にその運営の仕組みに関して、これをいわゆる議会制民主主義ですね、立憲君主制の議会制民主主義になぞらえて、そのアナロジーで捉えると、どういう話になるかということを言ったんですけれども、例えば、理事長が天皇、その周りの側近が理事会だとすると、内閣に当たるのは学長をトップとする大学執行部だとすると、教授会が議会。教職員、職員含めてもいいですが、議会があって。職員組織は官僚組織なんですね。官僚組織ということで、こういうアナロジーで捉えることができる。

そうすると今、私学に何が起きているのかということが、結構わかりやすいわけですね。これはやっぱり非営利組織・私立大学の運営体制として見たときに、これやっぱり一つの権力機構であって、そこである意思決定が行われ、その意思決定を組織全体に貫くわけですから、これやっぱり一つの権力機構なんですね、政治学的に言うとね。

そのときに、じゃあ主権者は誰かというと、これはまさに納税者ですね。これは私立大学で言うと学納金を納める学生であり保護者であり、そして過去の卒業生・保護者であり、そして結構少ないとは思いますが、寄附者ですよね。寄附者ですね。広い意味での寄附者。これが主権者、納税者ということになるわけですが、これがなぜか脇に置かれているということですね。

今、議会も機能していない。内閣も機能していない。官僚機構は内閣のもとにコントロールされるのではなく、天皇側近のもとにコントロールされるという話になってしまっているわけですね。しかも、いわゆる内閣総理大臣は、学長に当たるわけですけど、理事会の指名で選ぶという形になってきたわけですね。これに歯止めをかけるのは監事だけになっているんですが、監事も側近になってしまったら、これはもう全く機能しない。チェック&バランスの働かない権力機構になっていると。明治時代の絶対君主制みたいな話になっています。

これがうまくいくはずがない。もちろん、いわゆる名君なら別ですよ。理事長なり天皇に当たる人がね。だけどそうじゃなければ、これはもううまくいくはずがない。しかも歯止めがきかないから、もう行くとこまで行くしかない。破滅的な形で、終戦まで突き進む。あるいは外圧によって変わるという話にしかなってこないということですね。

それから、この「私立大学の運営と経営を考える」の1234以外にもう一つ、緊急ライブで、「私学は私物ではない」という話をしました。これは結局、日本の私立大学っていうのは結構特殊で、グローバルスタンダードではなくて、学納金と私学助成金、つまり税金で成り立っているんだという話をしました。

なので、結局、私学は誰のものかということなんですね。これは寄付者のものである。つまり学納金を納めている者。そして私学助成金のもとになっている税金ですね。これによって支えられている。だから日本の私立大学っていうのは、純粋な意味での私立=プライベートスクールではなくて、半ば公立的な存在なんだという話をしてきました。

そんな話をしながら、もう一つは、非営利組織の経営が結局わかってないとダメなんだと。特に、その経営をするためには、運営の仕組み。そして運営に失敗すると経営も失敗する。これが非営利組織の特質なんだという話をしてきました。非営利組織のミッション、目的、使命を見失うと、その非営利組織の運営には失敗するということですね。

私立大学でいうと、建学の精神を踏み外してはいけない。建学の精神を中軸にしながら、そこにすべての教員、職員、学生、保護者、そしてその私学を支える人たちを建学の精神のもとにまとめていく。あるいはそこに参画させる。それを支持し、それに参画するということですね。これがまさに非営利組織の目的なんですよね。あるいはそれが存続するための条件。必須条件なわけです。

あるいは別の言い方をすれば、それこそが非営利組織・私立大学の存在意義であるわけです。まさに社会の公器、公の器であって、理事会のものではないということです。もし私物化したいんだったら、全部自分で金を出せばいいわけです。

ところが、お金を出している理事長はほとんど日本の私学にはいなくて、逆にそこから給料をもらっている。これ別の緊急ライブ・深掘りでしましたけど。宗門系の大学は、むしろ坊さんの二足のわらじの副業の給料になっちゃってる。寺が儲かんないもんだから大学で儲けようと、大学を作ったみたいな話になっちゃってるわけですよね。これは大きな間違いですね。

今日はですね、特に戦略の話をしたいんですね。つまり非営利組織は意思決定を行う。そしてその意思決定を貫く必要がある。組織全体にね。さらには組織の外にまで、貫く必要がある。

その時に必要なのは、一つは意思決定の質、クオリティですね。もう一つは、それを貫くための戦略です。これがとても重要なんですね。この戦略の話は、ドラッカーの「非営利組織の経営」の方でも少し話しましたし、この「私立大学の運営と経営」でも少し触れたんですが。この意思決定を貫く戦略ということの重要性が、特に非営利組織の場合には重要なんですね。なぜかというと、営利組織である企業の場合には、もう社長が決めたで済むわけです。ある意味ね。それで黒字が増えればいいわけです。

でも、非営利組織は違うわけです。組織自体を育てることが非営利組織の目的なんですね。だから意思決定は押し付けてはいけない。例えば、戦略っていうことをそもそも理解してない人が多いわけですね。戦略は戦いを略す。戦いを略すという言葉です。つまり戦ってる場合じゃないと。もちろん戦いも必要な時はあるんですよ100%が同意することだけやってたのでは、非営利組織の発展はないので、たとえ51%しか賛成がなくても、意思決定を貫く必要があるときはあるんです。

ただですね、戦略っていうのはとにかくなるべく戦いをせずにやり遂げる。これが戦略なんですね。ドンパチやってる場合じゃないと。戦うのが戦略じゃないと。時々、戦略戦略と言って、戦闘意欲満々で戦略と言う人もいますけども、中には台本書いてね、台本通りにみんなに役割を振って、あんたがここでこうやって発言してこうやって持ってこうみたいなのを戦略だと思ってる勘違いな人もいるんですが、それはもう全く違います。

台本はないんです。台本通りに進まないのが、非営利組織なんですね。とにかく戦略ってのは戦いを略す。戦わずして物事を粘り強くやり抜く。これが戦略なんですね。だから必要なのが考え抜くことです。熟慮です。しっかり考え抜くことが、戦略を立てる上では重要なわけです。ところがこれが、熟慮が足りない。考え抜いてない。

浅はかな目的で、あるいは目的を間違って、何かを押し通そうとすると。すると戦略が戦略にならずに、戦局はむしろ複雑化する。泥沼化する。戦略を立ててやってるつもりが、戦略に全くなっていない。むしろ戦いを複雑化して泥沼化させていくなんてことをやったりする私学もあるわけです。まさに明治時代のアナロジーになっていくわけですけどね。とにかく戦略っていうことがそもそもわかってない。

さらにその戦略を立てる上での前提となる意思決定。この意思決定の仕方がわかってない。特に、非営利組織における意思決定の仕方。これは、企業で社長が決断するっていうのとは違うんですね。非営利組織の意思決定の仕方は、それとは違う。

それがわかってないで、自分の思い通りにしたい。こうしたらいいんじゃないかという浅はかな考えで動いてると失敗する。もうちょっと黒字増やしたいな。お金を儲けたいな。この人を学長にしたいな。とにかくそういう考え、浅はかなところで動いてしまうと、これはもう戦局は複雑化するということですね。

そもそも非営利組織、その私立大学の建学の精神、あるいは、使命・目的を見失ってるっていうことですね。ここに根本問題があるわけです。まずは建学の精神、その非営利組織の存在価値、存在意義、存在そのものを前提にして、目的や意図を立てなきゃいけない。そして戦略を立てなきゃいけない。こういう話なんですね。ここを間違うと、その戦略は全て失敗するということです。

非営利組織における戦略を考える上で重要なこと。まずは、非営利組織の特性をちゃんと理解して、それを踏まえた上で考え抜くこと。とにかく考え抜く。考え抜かなければ始まらないということですね。

もう一つは、その意思決定を実際に行動に移さなければいけない。その場合、重要なのは二つあって、....続きを読む。

 

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夕刊ことのは|21 May 2024

前日の新着情報を毎日17:30にショートPodcastでお届けしています。

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夕刊ことのは。はじめるCamp@Us、5月20日の更新情報です。

毎月一のつく日はことのはプラスということで、過去10日分のことのはのリンクも説明欄、概要欄に貼ってあります。

毎日の《ブログつぶやき》、つぶやきました。

新着ポッドキャスト。《声で書く日記》146個目。「カンオチとW◯ンチと超ロング散歩とはじらぢ最終回と忘れられたコロナと名人戦叡王戦と中日と夢日記の話」。

それから「memo|夢日記」、昨日の「ブログ下書き」、....続きを読む。

 

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