はじめるCamp@Us こえと言葉のブログ

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雪溶けが始まる!ブログつぶやきから気温の上昇を感じる

3月10日。

 

 

今日のつぶやき|10 Mar.2024

3月10日のブログつぶやきです。3月上旬終わっちゃいました。早いですね。あっという間ですね。

昨日の夜に雪が20センチぐらい降りまして、今朝も結構降ってましたけど、それでもお散歩終わったら晴れ間が出て、天気は回復に向かい、気温も上がり、朝はマイナス8度ぐらいでしたけどね。その後上がってちょっと雪溶けも始まりました。明日はさらに気温が上がるようですね。札幌ね。今週は気温が結構上がるみたいなので、だいぶ雪が減るんじゃないかな。そんな気がします。冬一郎くんはお利口にお散歩してます。落ち着いたもんです。

今日は日曜日だったので、はじらぢさんでぃの配信をしました。9時半ぐらいから名古屋ウイメンズマラソンを見ながら収録をし、配信までやっぱ2時間弱ですね。それぐらいでやっちゃうんですけど。音楽入れると1時間ほどの番組になるんですが、ほとんどそのまんま収録してそのまんま配信ですね。9時半に始めて11時半には配信完了と。LISTENの方の文字起こしの修正も大体それまでに終わるという感じでSpotifyとLISTENとでほぼ同時配信という形でやってます。

それから声で書く日記が111回目の配信ということで、111でこれ縁起のいい数字なんですね。ゾロ目だから。縁起のいい数字です。111回目の配信をしました。それからあとは、ことのはですね。これはもう朝、はじらぢさんでぃ終わった後に今日は仕込んで、5時半に公開予約をしてということで、ポッドキャストは今日はそれだけにしました。

今日は夕方からまた寝ちゃいました。テレビ見ながら結構寝ちゃいました。最近よく寝れますね。テレビなんか見てたら寝ちゃいました。そんなとこです。あとは特に語ることもない、何にもない静かな1日でした。本当に何もない。

今テレビでは「7つの会議」が始まりましたけど、これはもう5回ぐらい見てるんで、なぜかもう1回見てるという感じですね。明日も何も予定ないですね。少しちょっとnote記事を書きたいなと思いながらも、なかなかその気にならない。あと4象限思考ももうちょっとやりたいんですが、それもちょっと休憩です。

あといろいろ思ってることあるんですけども、冬一郎くんがわわわん吠えました。わわわん言ってます。

ということで、今日も変わり映えのない日常でした。ではまた。また明日。

こえの下書き。Voice draft つぶやきのもと。LISTENで番組をフォローすると音声と文字を視聴できます。

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本日の更新情報

Podcasts|10Mar2024

本日配信したPodcastsです。

 

毎週日曜日のお楽しみ。はじらぢさんでぃ。1時間ほどの昭和風ラジオ番組です。

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Spotifyプレミアムで音楽と共に聴くことができます。LISTENでは文字起こし記事を読むことができます。

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上の▶️をクリックすると音声を聴くことができます。リンク先ではすべての記事を読むことができます。

#010では、はじらぢさんがHRC season4について話しています。彼は自身の名古屋と札幌での暮らしや大学生活について語ります。名古屋と札幌を結ぶ思い出の一曲で名古屋の学生時代と札幌でのコミュニティFMについて話しています。北海道のコミュニティFM文化については、札幌市内の各区にほぼコミュニティFM局があり、ラジオ文化が根付いていることが語られています。また、冬一郎君の散歩の様子も取り上げられ、寒い朝や溶け始めた雪などの季節の風景が描かれています。札幌の冬も終わりに近づき、春の訪れを感じる中、最後の配信となるシーズン4の第10回目のエピソードが公開されています。(AI summary)

はじらぢさんでぃ、新しい一週間が始まりました。

3月10日日曜日、朝9時15分、名古屋ウイメンズマラソンがスタートを切りました。ウイメンズマラソンを見ながら、はじらぢさんでぃ、収録したいと思います。

今日は、シーズン4が始まって10個目のエピソードですね。札幌は、昨日の夜から結構、雪が降りまして、20センチぐらい積もりましたかね。ただ、もうすでに雪は止んで、朝のお散歩中は雪が結構降ってたんですが、もう止んで、今晴れてますね。これから気温が、今日から明日にかけて気温が上がるので、もうあまり雪かきはせずに、自然に雪が溶けていくのを待とうかなーなんて思っている、そんな朝の札幌です。

ということで、はじらぢさんでぃシーズン4、エピソード10をお送りしていきたいと思います。第1コーナー、人生いろいろ。第2コーナー、思い出の一曲。第3コーナー、SNSあれこれ。そして第4コーナー、ザ・冬一郎散歩でお送りしてまいります。今日も最後までお付き合いください。はじめるラジオキャンパス シーズン4、プレゼンテッドバイキャンパス。

はじらぢさんでぃ、3月10日。シーズン4、10個目のエピソードです。

第1コーナー、人生いろいろ。今日はちょうどテレビで名古屋ウイメンズマラソンやってるので、少し名古屋のことを思い出して、私と名古屋の関わりについてね、お話しようかなと思ってます。今札幌に住んでるんですが、札幌に越してきたのは7年前。それまでは名古屋に住んでました。35年、結局35年住んでましたね。

私は父親は北海道の旭川出身で、ただ私は東京で、戦後を迎えた父親が東京で結婚したんですね、栃木の女性と結婚して東京に住んで、町田で生まれたんですね。私は1963年ですけれども、去年還暦を迎えたわけですが、その町田に2歳まで住んだ後は神奈川県秦野市という秦野、小田原の近くですね。秦野市

二宮尊徳が生まれた生家からも近い地域で、タバコが有名でしたね。秦野。落花生もとれたけど、タバコの方が有名でしたね。タバコ祭りっていうのがあって、タバコで松明を焚くんですね。水無川っていうのがあって、あれもなかなか見物でしたけどね。もう今はやってないんでしょうか。水はあっても水無川と言ってました。そんな神奈川県秦野市で小学校2年の終わりまでですね、過ごした後、小学校3年生から栃木に引っ越したわけですね。母親の実家がある栃木に引っ越して、高校3年生まで10年間、栃木で過ごしたと。だから2年、8年、10年?18?あ、違う。2年、6年、10年。で、18歳まで関東で過ごして。

その後、大学1年生から名古屋に住んで。名古屋は縁もゆかりもない土地で、身寄りもない、知り合いもゼロ。誰も知らない知られちゃいけない名古屋に1人で行ったわけですね。18歳の若者が。誰も、知ってる人が誰もいないところに行きたかったんですね。なるべく実家から離れたかったということもあって名古屋に行ったんですが。他のとこ行ってもよかったんですけどね。北関東の高校だったので、同級生とか、みんなだいたい東京か京都か、あとは北にのぼるんですよね。仙台とか札幌とかね。そっちも魅力だったんですが、私は誰もいない、誰も行かない名古屋に行ったという話なんですが。

なんで名古屋に行ったかっていう話は置いといて、とにかく大学4年間だけ名古屋で過ごそうと。また関東に戻ってくるもんだと自分では思っていたにもかかわらず、結果的には35年間も名古屋に住んでしまった。最初名古屋に行ったときはね、暑い。夏が。とにかく。それが嫌でしたね。すっごい暑いなぁと。名古屋の人はみんな地下街に避難するんですね。札幌は雪があるから地下街に避難するんですけど、名古屋はね、暑いから地下街に避難するという。そういう地域でしたね。

札幌も名古屋も結構似てまして、街のつくりとか、地下街が結構発達してるとか、地下鉄もね、似たようなタコ足で伸びてったとかね、そんなのも特に似てるんですが。大通りも似てるし、テレビ塔も似てるし、街中にすすきのと栄に観覧車があるのも似てるしね。とても街のつくりも似てるんですが、それはさておき。都市の規模も、名古屋の人口と札幌の人口はほぼ近いんですよね。名古屋の次が札幌ですので。そういう意味ではとても似た都市ですが、何が違うかというと、名古屋は灼熱の夏、札幌は雪の多い冬というね。

こういう違いがあるわけですが、それはさておき、名古屋にとにかくなんで35年もいたのかと。大学4年間でさっさと終わりにすればよかったんですが、名古屋に長居をしてしまった。そしてなぜか札幌に来てしまったという。想定外の人生ですけども。それもこれも名古屋に行ったとこから全ては始まったわけですね。今日は何を、話すことがありすぎるんですが、名古屋に行ってとにかく大学は6年間、学部と教養部やりましたね。

結構、人生に悩んだわけじゃないけれども、いろいろ、授業も出ずに別のことばっかりやってたので、結構長いこと大学はいたんですね。最初6年間いて。本当は5年で出れたんですけど、6年目大学院に行こうと思ってね。それでもう1年いたんですけど、学部に。それはさておき、その後、大学の教員になっちゃったわけですけど、学生に言ったのは、単位が足りなくて卒業できないんです、なんとかしてくださいって頼みに来た学生に、大学は4年で卒業するのもったいないよって。

僕も6年いたし、5年目ぐらい、そんな生き急いでも、何歳で死ぬかわかんないんだから、急がなくていいよって言いながら、単位を上げずに留年した学生も何人かいますけど。下手にそこで卒業させちゃうと、結局その後の人生を失敗すると思ったんで、そういう選択をしたわけですけども。それもさておき、その後、大学院に行って大学院マスター2年、ドクター3年、助手3年とやって、大学院と助手で8年いたわけですね。だからその大学には結局14年、学生時代含めていたわけで、その後、今度は大学教員になるしか道がなくなっちゃったので、いろいろ応募するわけですよね。

そこでたまたま拾われたのが名古屋の音楽大学だったということで、そこはもう3年か5年でやめようと。私は音楽が専門じゃないので、政治学が専門なので、法学部政治学科、できれば政治学科。やっぱり専門教育をしたかったですよね。音楽大学では教養科目としてしか教えられないので、それはそれでやりがいはあったんですけども、やっぱり専門教育をしっかりとやりたかったですけどね。

ただ、そこの、音楽大学という特殊性、そして私立大学という特殊性、しかもそこに就職したのは1996年なんですけど、少子化の波がやってき始めた時期ですよね。これから私学経営は困難な時代を迎えると。その割には全く危機感がない。打つべき手も打ててない。そんなふうに思っちゃったんだね。思わなきゃよかったんですが。思っちゃったもんだから。

最初は自分がやってもどうかなと思ったんで、やらずに傍観してたんですが、傍観もしてられなくなっちゃって、手出しちゃったら。その後の人生はあちこちで語ったんでもう語りませんけどね。それでいろいろやってるうちに、なんと35年ですね、名古屋。その大学に21年も勤めちゃったという。人生の何分の1かわかりませんが、かなり多くを過ごしちゃったわけですね。その後、札幌の私立大学で4年。結局25年間私立大学に勤めた。14年間、国立大学で学生時代を含めていたという形ですね。

名古屋話。今ウイメンズマラソン走ってますけど。あれ、コマーシャルになっちゃった。名古屋の街を走ってて、ちょうど私が住んでたマンションからもう歩いて2,3分歩くとね、ウメンズマラソンとか名古屋のマラソンコースのコースに出るんですよね。だからもうすぐ近くで見れたんですけど。

これ札幌もそうですね。札幌もマラソンコース、ここから結構近いんで。見に行こうと思えば10分も歩けばマラソンコース見れるんですけどね。見に行ったことはないですけども。そういう意味でも環境が似てるんですね。なんにも名古屋の思い出になってませんが、何の話しようかな、名古屋の。とにかく長居をしてしまったことで、人生がそこで終わったわけじゃないけど、過ごしちゃいましたね。

だから名古屋は、結局、東京、神奈川、栃木。2年、6年、10年。で、名古屋35年、札幌7年。名古屋が一番長いわけですよね。35年。人生の半分以上がやっぱり名古屋で過ごした形になりますね。これで今60歳だから70歳前に死ねば、人生の半分以上が名古屋だったということになるわけですが、70歳を超えて生きたら人生の半分以下がね、半分近くが名古屋だったってことになるんで、やっぱり名古屋で生きたというのは自分の人生の中に刻印されてしまったのかな。

そういう意味ではとても愛着もあるしね。第二の故郷というか、そもそも第一の故郷がどこなのかわかんないですよね。結構引っ越しも転校もあったので。そんな頻繁ではないけどやっぱり、東京町田の思い出はないけど、神奈川の思い出は結構ありますし。幼少期過ごしてね。だけどやっぱり栃木かな。栃木がやっぱり最初の故郷になるのかな、10年間。でも結局名古屋の方がどっぷりつかりましたね。中身ないですね。

ウイメンズマラソン、今まだスタートして20分ぐらいしか経ってませんけど、今日はどんな感じになるんでしょう。声日記界隈でもね、名古屋ウイメンズマラソン出てる方いるみたいですけれども。例によって高橋尚子さん。この人も岐阜出身だったっけ。愛知名古屋に縁がある人ですけれども。今日も解説してますね。取り留めがなくなってきました。

よく聞かれるのが、札幌で4年で大学辞めるつもりはなかったんですが、辞めた後名古屋戻るんですかとか、あるいは名古屋の人から戻ってきてくださいというアピールが結構あったんですが。名古屋帰ってきてくださいとか、戻ってこないんですかって言われたんですけど、ここは悩みどころでしたね。結局戻らなかった。

というのは、やっぱりそもそも縁もゆかりもないっていうか、身寄りも何もない土地だったので、戻ったところで、昔の仲間はいるにしてもやっぱり最後に住む土地ということでもないなと思ったんですよね。むしろ北海道、札幌も縁もゆかりもないんだけど、やっぱり父親が、自分の実のオヤジの出身が北海道、旭川

祖先はずっとやっぱり北海道で過ごしてきた。かなり古い時期から北海道に住んでた感じですね、うちの祖先はね。どうも元をたどるとね。屯田兵なのかそれより前なのかわかんないんですけどね。ルーツ探ってみたい気もしなくもないけど。そこまでやる気もないですけどね。そんなことで自分のアイデンティティというか本拠地というか、まあふるさとというかね。今はもうみんなふるさと持たない人多いですけれども。

どこなのかなと思いつつ、今札幌でのんびり最後の人生の余生を北海道犬冬一郎君と過ごしていると。ポッドキャストをやりながら、民泊ゲストハウスをやりながら、何の名古屋の思い出にもなってませんが、とりあえず名古屋ウィメンズマラソンを見ながら人生をいろいろ語ってみました。

第2コーナー、思い出の1曲です。はじらぢさんでぃ、3月10日、シーズン4、10回目の配信です。思い出の1曲、第2コーナーですね。今日はまあ人生いろいろだったり、少し名古屋に25年、35年も済んじゃったんだよって話をしたので。その名古屋の思い出といえばやっぱりこの曲ですね。

ちょうど名古屋の大学に進学して18歳で、学生生活を送るわけね。これは楽しいわけです。やっぱり自由なわけですよね。今だから言えるけど、やっぱり当時はコンパとかいっぱいありまして、コンパしまくりですよね。大学1年生からコンパコンパの連続で、コンパばっかり。合コンも全盛期でしたしね。まだバブルは始まってないですけども、だんだんバブリーな時代に向かっていく。そんな時代でしたね、1982年ですかね。

今ちょうど「ふてほど」、「不適切にもほどがある」というドラマをテレビでやってます。あれが1986年です。ちょうどあんな時代ですよね。合コンもやったし、イッキイッキもはやったしね。いろんなことをやりました。そんな名古屋で、夜の街を気持ちよく歩いていると、友人たちと。流れてきたのがこの曲ですね。....続きを読む。

 

隔日の声で書く日記です。

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札幌でのんびりまったりな週末を過ごしながら、今は名古屋ウイメンズマラソンを見ながら配信を行っています。また、ドラマ『不適切にもほどがある』を見た感想を話し合っています。80年代と現代の社会や男女間の関係の変容について考える材料が満載であり、今の社会の不適切さについても議論しています。(AI summary)

3月10日日曜日午後12時52分ですね。はい、のんびりまったりな札幌です。雪がまたちらついてきましたけど本当にほんのちょっとですね。昨日の夜、結構降って20センチ近く降って、まあただ静かに降って、今朝はちょっと晴れ間も覗いたんですがまたちょっと降ってきましたね。ただ気温はだいぶ上がってきて雪も解けるんじゃないですかね。明日あたりから。

そんな札幌ですけれども、先ほど9時過ぎから、名古屋ウイメンズマラソンを見ながら、はじらぢさんでぃ日曜日の配信やりました。まあだいたいこれ2時間かかりますね。収録始めてから配信まで、9時半ぐらいに始めて11時半に配信が終わるぐらい。そんな感じですね。

それから公開ダラダライブを昨日やりました。結構ダラダラでしたね。ただちょっとこの2日3日は意外とペースを落として、ニュートラルまで落ちてませんけどファーストギアまで落ちてのんびりしてます。のんびりまったり週末を過ごさせていただいてます。

それでどっかでも喋ったんですけども、不適切にもほどがあるというドラマをやっててこれがちょっと話題になってたので、だけど見逃してたんですが何気なくうちのブルーレイのレコーダーですね。ハードディスクが結構ボリュームあると思うんですけど、勝手に自動でおすすめを録画しておいてくれるんですよね。見たらちゃんと1話から7話まで録画されてましたので、昨日はとにかく、午後は昼過ぎからそれを一気に夜まで見ちゃいましたね。

もういいやと思ってポッドキャストはとりあえず、土曜日はダラダライブやったしと思って、ふてほどを見てました。不適切にもほどがある。

これはやっぱり、ちょうど1986年からタイムマシーンで、86年に行くんですね。1986年っていうのは、これからバブルが始まりますよってことで、結構イケイケな時代で私ちょうど大学4年目で、あの空気感ね。それこそ学校現場では体罰の問題とかねいろんな問題が出てきた時期ですね。やっぱり1980年代っていうのは変わり目で、80年代以前の社会と80年代以後の社会っていうのはもう大きく変わったんですよね。

特にバブル崩壊、1991年ですけども冷戦も終わり湾岸戦争も終わりってこともあるし、あとはもう一つやっぱりフェミニズムですよね。男女間の関係、親子間の関係っていうのも少し水平的な関係になっていく。そんな転機が80年代だったんですよね。私はちょうど1982年に大学入って、80年代はもう大学生やってたのでこの変化は凄まじかったわけです。

例えば、私の先輩、国立大ですけども、先輩には女子学生ほとんどいなかった。理系にはもうゼロですね。理系はほとんどいない。農学部にちょっと出てきたかな。私の学年がちょっと女子学生が増えたって言って、先輩たちが喜ぶわけですよね。私、法学部だったんですが1割になりました。それがニュースになるわけね。それ以前は1人いるかいないかみたいな。文学部は4割超えたとか3割になったとか言って、女子学生がね。言ってたのが、私の次の年には2割になり、女子学生、法学部ね。

文学部は5割超えた。その翌年には文学部8割女子学生になった。教育学部も5割超えましたとか言って、私がいた法学部は急いで女子トイレを作り始めた。そんな時代ですよね。女子トイレがなかったわけです。大学には4年制の国立大学に女子トイレがほとんどなかった。だから女子学生はみんな遠いとこまで、女子トイレ探していかなきゃいけなかった。

それぐらい男子学生が優位な時代が、1970年代末まで、80年代初頭まで。それが80年代に一気に逆転していくというかな。その頃から出てきたのはいわゆる夫婦別姓とか事実婚とかね、フェミニズムの議論も結構、第2期かな、日本で言うとね。どこを第1期とするかにもよるんですが、結構そういう議論が高まった時期で、男女間の変容というのは、まさに私が20歳前後の時にその変容のまっただ中ですよね。

それ以前の家父長的な関係、男女間の関係、男がおごるのが当たり前の時代からそうじゃない時代に変わっていくとかね。学校現場でいえば、ケツバットもなくなっていく、ふてほどじゃないけどね。だから、不適切にもほどがあるの世界で出てくることは、大体私、子供時代から学生時代まで体験してるわけですよね。リアルでね。それがこう急激に変容していくわけね。

今の令和の時代に、不適切にもほどがあるで、38年の時を隔てていかに物事が変わったかということが、パロディー含めて描かれてるんですけど、....続きを読む。

 

blog|10Mar2024

本日配信したブログ記事です。

 

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note|10Mar2024

本日配信したnote記事です。

 

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夕刊ことのは|10 Mar. 2024

前日の新着情報を毎日17:30にショートPodcastでお届けしています。

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夕刊ことのは。はじめるCampus、3月9日の更新情報です。詳しくは概要欄、説明欄に各記事へのリンクがあります。

毎日の《ブログつぶやき》、つぶやきました。

そして新着ポッドキャスト。《公開ダラダライブ》土曜日の朝ですね。「33個目のエピソード」を配信しました。StandFMとLISTENから。

そして「ブログつぶやきの下書き」。そして昨日の《ことのは》。

新着ブログは《こえと言葉のブログ》、「土曜朝は公開ダラダライブ:ふてほど1話から一気見の午後」ということで、昨日は「不適切にもほどがある」が録画されてたので、うちのレコーダーに。それを1話から7話まで一気見しましたね。ということで、ポッドキャストはあんまり配信してません。

夕刊ことのはでした。ではまた。